家業を継ぐというより、自分のやり方でやる。青木歯科医院・青木陽太郎の歩み

2026.05.02

青木歯科医院 院長・青木陽太郎氏。診療室にてピース。

Relay From 有限会社北斗技研 金子 雄三さん

祖父の代から続く青木歯科医院。その三代目として診療に立つ青木陽太郎さんは、いわゆる「家業を継ぐ覚悟」を語るタイプではありません。

「正直、なりたかったわけではないんですよね」

そう淡々と話す姿に、青木さんのスタンスがよく表れています。歯科医師という仕事を選んだ理由も、家業だったから、理系だったから。消去法に近い選択だったと言います。それでも今、地域の中で必要とされる歯科医院をつくっている。

先代との比較に悩みながら、自分のやり方を模索し続けた10年。青木さんがたどり着いたのは、「真似をしない」という選択でした。

志があったわけではない。ただ、やるならちゃんとやろうと思った

Q. 歯科医師を目指したきっかけを教えてください。

A. 正直なところ、最初から強い志があったわけではないです。祖父の代から歯医者で、親もやっているので、その流れで歯学部に進んだという感じです。

もともと文系が苦手で、理系が得意だったというのもあります。数学や物理が好きだったので理系に進んで、医学部ほどではないけど、薬学や工学にもあまり興味がなかった。その中で歯学部という選択になりました。

ただ、大学に入るとお金もかかりますし、ちゃんとやらないといけないなという自覚は出てきました。卒業後の進路には研究に進む道もありましたが、自分は人と接する方が合っていると感じて、町医者の道を選びました。家業があったのはやっぱり大きかったと思います。帰る場所があるというのは、ありがたいことでした。

一度は外に出たが、2か月で戻ることになった

Q. 地元に戻ることになった経緯は?

A. もう少し外の世界を見てみたいという気持ちもあって。実は歯科大を卒業した後、下北沢のクリニックで勤務していました。そんな時、父から一本の電話がありました。

「帰ってきてくれ」と。

理由を聞くと、「市長をやるからだ」と言われて。正直、そこはちょっと驚きました(笑)。自分としてはまだ外で経験を積みたい気持ちがありつつも、仕方なく勤務先の院長に「地元に帰りたい」と相談しました。

勤務して2か月くらいのことでしたから、当然納得してもらえず。めちゃくちゃ怒られました。ただ、事情として「父が市長になることになって…」と話したところ、「それなら仕方ない」と。それで地元に戻ることになりました。

穏やかな雰囲気の中で取材に応じていただいた、取材中の一コマ。

「親父の幻影」が消えるまで、10年かかった

Q. 継承してから大変だったことは何ですか?

A. 一番は、先代との比較ですね。直接言われるわけではないんですが、「親父だったらこうだった」という空気は常にありました。体感として、患者さんの数も最初は半分くらいになった感覚があります。それがコンプレックスでした。

ただ、親父のやり方を真似しても仕方ないとも思っていました。僕は僕でやるしかない。そうやって続けてきて、「親父の幻影が消えた」と思えたのが、だいたい10年くらい経った頃です。継承して2〜3年で親父が亡くなったこともあって、余計に影響は大きかったと思います。

「やっていないこと」をやるしかなかった

Q. どのようにして乗り越えてきたのですか?

A. 中野市内にも歯科医院はたくさんあります。その中で、自分が何で勝てるのかを考えました。設備を最新にするとか、いろいろあると思いますが、自分にできることを考えた結果が「訪問診療」でした。

当時はあまりやっているところもなかったですし、正直、やりたがる仕事ではないと思います。でも、高齢化が進んでいく中で必要になると思って始めました。広告がほとんどできない業界なので、口コミで広がるしかない。訪問診療を始めてからは、少しずつ広がっていきました。

今では施設も含めて任せてもらえるようになり、予約がいっぱいになるくらいにはなっています。結果的に、親父のやり方ではない形で、自分のポジションをつくることができたのかなと思います。

「時間を守る」それだけは崩したくない

Q. 診療で大切にしていることは?

A. 時間ですね。予約診療なので、10時の予約が10時半になるのは申し訳ないと思っています。自分がやられて嫌なことはやりたくない。それだけです。

ただ、現実として難しい場面もあります。急患でみえる方がいらっしゃいますし、応召義務もあります。それでも、基本は予約の患者さんを優先する。初診の方はコミュニケーションにも時間がかかりますし、そこを無理に詰めると全体に影響が出てしまう。

なので、新規の方は別日に調整させてもらうなどして、全体の時間を守るようにしています。

JCで苦楽を共にした仲間でもあり、師匠でもある㈱武田・武田明良社長と。

地域との関わりは、「外側くらい」がちょうどいい

Q. 地域との関わりについてはどう考えていますか?

A. 歯科医師会の活動で学校健診やイベントに参加したり、JCのつながりでバラまつりにも関わっています。

市長をやった父の影響もあって、「政治をやらないのか」と言われることもありますが、自分は中に入るより、外側から関わるくらいがちょうどいいかなと思っています。仕事とは別のところで人とつながる場があるのは、いい息抜きにもなりますし、楽しい部分でもあります。

中野市のバラまつり。JC時代から続く地域との関わりの一つ。

「広げるべきかどうか」まだ答えは出ていない

Q. 今後の展望について教えてください。

A. 今の医院はユニットが3台で、正直手狭ではあります。1台増やすとなると、敷地を広げる必要も出てきますし、人員も増やさないといけない。その判断は簡単ではないです。

事業を拡大するのが正解なのか、今の規模がベストなのか、まだ答えは出ていません。そういう判断をどうしているのか、他の経営者の話は聞いてみたいと思っています。

編集後記

青木さんの話は、どこか肩の力が抜けています。歯科医師になった理由も、家業だったから、理系だったからと、特別なストーリーを語る訳ではありません。それでも、先代との比較に悩みながら、自分のやり方を模索し続けてきた10年は、決して軽いものではなかったはずです。

「親父の幻影が消えるまで10年かかった」

その言葉は、事業承継のリアルそのものだと感じました。無理にかっこつけず、自分にできることを一つずつ積み重ねていく。その結果として、今の青木歯科医院があるのだと思います。

We Can

事業承継の中で直面する葛藤や、先代との比較という壁をどう乗り越えてきたかという実体験があります。訪問診療という新たな取り組みを通じて、自分なりのポジションを築いてきた経営のプロセスを共有できます。

We Want

事業拡大の判断について悩んでいます。設備投資や人員増強をすべきか、それとも現状を維持すべきか。同じような局面を経験してきた経営者の考えや判断基準を聞いてみたいと考えています。

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