自分でつくって、自分で売る。丸世酒造店・関晋司さん
2026.10.15
Relay From 池田クリーニング商会の池田さんからご紹介いただいたのは、株式会社丸世酒造店の関晋司さん。
丸世酒造店は、日本酒を製造し、販売する酒蔵です。関さんは五代目。会社の経営者として、また自ら杜氏として酒造りを担い、できあがった酒を自分で販売しています。大学卒業後は会社員として約4年間働きました。家業を継ぐよう強く言われていたわけではありません。それでも会社員として働く中で、この先の人生について考えたとき、
「自分は、死ぬまで仕事をしているような人生の方が合っているんじゃないか」
と思ったそうです。実家には、代々続いてきた酒造りという仕事がある。そうして会社を辞め、酒蔵へ戻りました。毎年できあがる酒は、その年ごとにお客様から評価されます。去年より良いのか。今年はどうなのか。関さんは、その評価を自分への課題に変えながら、毎年少しずつ上を目指しています。そして今、考えているのは酒の味だけではありません。地域の外へ酒を売っていく時代に、この場所に酒蔵があることを、地域の人たちにとってどんな価値にできるのか。
五代目としての酒造りと、これからの酒蔵について伺いました。
死ぬまで仕事をするなら、家業がいいと思った
Q. 酒蔵を継いだ経緯を教えてください。
A. 大学を出てからは、普通にサラリーマンをしていました。4年間くらい働いて、それから辞めて実家へ戻ってきました。
親から「継げ」と言われた記憶は、ほとんどないです。父親としては多分、「継いでくれたら」という気持ちはあったと思いますけど、僕自身はプレッシャーを感じていませんでした。たぶん、僕が継がなければ会社をやめるという選択肢もあったんじゃないかと思います。
会社員をしていた頃に、自分より上の世代の人を見ていて、60歳を過ぎてからどう過ごすかって、結構難しいんだなと思ったんです。もちろん人それぞれなんですけど。自分は逆に、死ぬまで何か仕事をしているような人生の方が合っているんじゃないかと思いました。
そう考えたときに、実家は自営業で、しかも酒造りという仕事がある。そこにすごく惹かれました。だったら戻って、自分でやっていこうと。結果的に五代目になりましたけど、「伝統を守らなきゃ」というところから始まったというより、自分がどういう人生を送りたいかを考えた結果ですね。

毎年、自分で壁をつくって、その少し上へ登る
Q. 酒造りを続ける中で、難しさを感じるのはどんなところですか。
A. 毎年、壁にはぶつかっている気がします。日本酒って、つくったものを皆さんに飲んでもらうじゃないですか。そうすると、ある意味、毎年評価されるんです。「去年の方が良かったね」と言われることもありますし、「今年もいいね」と言ってもらえることもある。だから毎年、「去年よりどうするか」というのが出てきます。
自分の場合は、モチベーションを上げるために、わざわざ自分で壁をつくっているところもあります。どうでもいいようなことまで不安にして、それをプレッシャーに変えて(笑)。でも、「大きな壁をよいしょと越える」という感じではないんですよね。どちらかというと、山を少しずつ登っている感覚です。日々の作業を一つずつ積み重ねて、気づいたら前より少し高いところにいる。
日本酒も、毎年大きく変えればいいとは思っていません。うちの場合は、「変える」というより、今あるものをより良い方向へ少しずつ進めていく。その積み重ねですね。一つ越えたら、また次がある。ずっとそれを繰り返している感じです。

自分でつくって、自分で売る
Q. 丸世酒造店らしさは、どこにあると思いますか。
A. 一つは、創業家がずっと続けていることだと思います。最近は、昔から続いてきた酒蔵でも経営する人が変わるケースがあります。外から新しい人が入って、新しい考え方で酒蔵を変えていく。それも一つの魅力だと思います。
でも僕自身は、一族でずっとつないできたからこそ出せるものもあると思っています。うちの場合は、自分が会社の経営を担いながら、杜氏でもあって、製造責任者でもあります。つくっているのも自分で、売っているのも自分です。
酒蔵によっては、経営する人と、実際に酒をつくる杜氏さんが別ですよね。それはそれで役割分担として成り立っています。でも自分の場合は、
「なぜこの酒をつくったんですか」
と聞かれたら、その場で自分で答えられます。こういう味にしたかったとか、こういう考えでこの酒にしたとか。つくった人間と売る人間が同じなので、そこにずれがない。逆に、お客様から何か言われれば、それも全部自分に返ってきます。
「もう少しこうした方がいいんじゃないですか」
と言われたら、逃げられないですよね(笑)。自分でつくって、自分で売っている以上、否定もできない。それがまた次の年の課題になります。そういう意味では、創業家としてつないでいることと、自分でつくって自分で売ることは、かなり近いところにあるのかもしれません。

外に酒を売るなら、地元に何を返すのか
Q. これから酒蔵を続けていく上で、考えていることはありますか。
A. 今までは、地域の人たちにお酒を買っていただくことで、ずっと経営できていた時代だったと思います。でも、今は人口も減っていますし、お酒を飲む人自体も少なくなっています。そうすると、僕らも市外、県外へ目を向けて商売していかないと、会社として続けていけない。それは必要だと思っています。
ただ、外へ酒を売るようになればなるほど、「じゃあ、この地域に酒蔵があることって、地元の人にとって何のメリットがあるんだろう」ということも考えないといけないと思うんです。外で売れているから、それでいいという考え方ももちろんあります。でも、僕はここで酒造りを続けるなら、ここにある意味も何かつくりたい。酒を買ってもらうことだけが、地域との関係ではないと思っています。
それで今、考えている一つが防災です。

酒蔵があることで、地域が少し安心できるように
Q. 地域に対して、酒蔵だからできることはありますか。
A. 酒蔵には、仕事で使う設備がいろいろあります。うちには太陽光発電があって、蓄電池もあります。水も酒造りに使いますし、タンクもあります。こういうものを、災害のときに地域で使えるようにできないかなと思っています。
普段は酒造りのために電気も水も使っている。だから、防災のためだけに新しく全部設備を用意するわけではないんです。日常的に使っているものを、有事には地域のためにも使えるようにする。もしインフラが止まったときに、近隣の方へ水や電気を供給できれば、行政もほかの地域へ人や資源を回せます。仕組みとしては、まだこれから整えないといけない部分があります。
でも、「この地域に酒蔵があるから、何かあったときに少し安心だよね」と思ってもらえるようになれば、それは酒蔵がここにある一つの意味になると思っています。
商品づくりでも、地域と一緒にできることはあります。例えば、お米をつくっている人がいれば、そのお米を使って日本酒をつくることもできます。日本酒以外の酒類をつくるための免許もあるので、地域の果実を使った商品を考えることもできます。「これを酒にしてみたい」という人がいれば、一緒にやれる可能性はあります。
酒粕もそうですね。酒をつくれば必ず出ますけど、昔のように漬物などで使う人は減っていて、余ることが増えています。今は農地で肥料として使ったり、家畜の飼料として使えないか動いたりしています。まだ答えが出たわけではありません。でも、酒をつくるだけで終わらず、そこで出るものまで地域の中でどう生かせるか。
そこも考えていきたいですね。酒を外へ売ることと、地域に酒蔵があること。その両方に意味を持たせられる酒蔵にしていきたいです。
編集後記
会社員を辞めて家業へ戻った理由は、「伝統を守るため」ではなく、死ぬまで仕事をする人生が自分には合っていると思ったから。
五代目として自分で酒をつくり、自分で売る今、その問いは「より良い酒をどうつくるか」から、「この地域に酒蔵がある意味は何か」へ広がっています。
外へ酒を売るほど、地元にも酒蔵があるメリットを返す。
防災拠点という構想は、受け継いだ酒蔵を今の地域に必要な存在へ更新していく、一つの答えなのだと思いました。
関連リンク
We Can
- 日本酒の製造・販売
- 地域産米を使った日本酒づくり
- 農家・地域事業者と連携した酒類の商品開発
- 地域の果実を使った酒類の商品化相談
- 日本酒以外の酒類を含めた商品企画
- オリジナル商品の共同開発
- 日本酒や酒造りに関する情報交換
- 酒蔵設備や副産物を活用した地域連携
「自分たちの米や果実を使って何かつくれないか」という相談から、一緒に商品を考えられる可能性があります。
We Want
酒造りでは、毎年まとまった量の酒粕が出ます。
以前は漬物などに使われることも多かったものの、生活様式の変化とともに従来の用途は減っています。
現在は農地への肥料利用や、家畜の飼料として活用できないか検討を進めていますが、食品、飼料、肥料、素材など、ほかにも酒粕を生かせる方法があれば取り組んでみたいと考えています。
酒粕の加工や商品開発、副産物の循環利用に知見のある方との情報交換を歓迎します。
また、地域の米や果実などを使い、「こんなお酒をつくってみたい」という生産者や事業者とのつながりも求めています。