ピザは生き物。須賀川の季節と焼く、P.N.M ピザのもりやま 森山陽介さん
2026.07.13
Relay From 里山ようちえん おやまのおうちの山崎龍平さんからご紹介いただいたのは、P.N.M ピザのもりやまを営む森山陽介さんご夫婦です。
P.N.M ピザのもりやま は、昼はピザを中心としたランチを、夜は前菜やパスタ、ピザなど、お酒に合う料理を提供しています。デザートやテイクアウトもあり、昨年からはパニーニの移動販売も始めました。森山さんは、若い頃にフレンチの厨房から料理の仕事に入り、その後イタリアン、そしてピザの世界へ。最初からピザ職人を目指していたわけではなく、始まりは「しょうがなく」だったと話します。
それでも、ピザの生地、発酵、焼きの世界に触れるうちに、少しずつのめり込んでいきました。東京で経験を重ねたのち、地元長野へ。駅前ではなく、畑のある場所で店をやりたいと思うようになり、たどり着いたのが須賀川でした。
仕方なく始めたピザが、いつの間にか仕事の中心になった
Q. 最初からピザ職人を目指していたわけではなかったんですね。
A. そうですね。若い頃はフレンチをやっていました。厨房の見習いから入って、最初の3~4年くらいでしょうか。その勤務先が途中で業態を変えてイタリアンを始めたんです。それでも最初はピザ以外の料理、前菜などを担当していました。
ピザを始めたのは、そのお店のピザ職人が辞めるタイミングです。誰がやるんだということで、お前やれと。それで自分がやることになったんです。最初は、正直イヤイヤというか、しょうがなくだったんです(笑)。でも、やっていくうちに発酵の世界にはまっていきました。
Q. 発酵のどんなところに惹かれたのでしょうか。
A. 思い通りにならないところですかね。ピザって、生地を仕込んで、発酵させて、焼くんですけど、同じようにやっているつもりでも毎日違うんです。湿度や天気、温度でも変わりますし、ちょっとしたことで仕上がりが変わる。
そこが面白くもあり、難しくもあります。そこから、もっといろいろなお店で経験したいと思うようになりました。東京では合計で20年くらい経験を積みました。

森山さん。ご夫婦二人で取材にお受けいただいた。
駅前ではなく、畑のある場所で店をやろうと思った
Q. 長野に戻ってから、今の須賀川の場所にたどり着くまでは、どんな流れだったのでしょうか。
A. 独立したいという気持ちはありました。出すなら地元で出したいと思っていて、5、6年前に長野に戻ってきました。帰郷した当初は長野駅前で物件を探していたんです。でも、ちょうどコロナの時期で、駅前に人がいない。家賃も安いわけではない。そういう状況を見ていて、少し考えるようになりました。
そんなときに、農家の友達から「畑が空くから、野菜づくりをしてみないか」と誘われたんです。コロナの影響で農家をやめる方がいて、その畑が空くという話でした。それで、先輩と3人で畑を始めました。やってみたら、野菜づくりにもはまっていったんです。
Q. そこから、お店の場所の考え方も変わったんですね。
A. そうですね。せっかくやるなら、自分たちでつくった野菜を料理に活かしたいと思うようになりました。そうすると、駅前の物件よりも、郊外で、畑があって、古民家的なところがいいなと。本当にいろいろ探しましたんですが、なかなかピンとくるものがなくて。
そんなときに、空き家バンクで今の物件を見つけました。1回見に来て、「ここはいいな」と思って、ほとんど即決でした。建物を購入したのは4年くらい前で、お店を開いてからは今で3年目です。
Q. この建物も、ご自身でかなり手を入れられたんですか。
A. そうですね。耐震や梁の部分は工務店さんにお願いしましたけど、壁や床は自分でやりました。できるだけ経費を抑えたいというのもありましたし、DIYが好きなので。

「ピザは生き物」。発酵が進む生地を見ていると、森山さんのその言葉がよく分かる。
発酵は、今でも思い通りにならない
Q. 飲食の仕事を続けてくる中で、大変だったことはありますか。
A. いっぱいありましたね。若い頃の飲食の現場は今とはだいぶ違っていたと思います。僕らの時代は厳しかった。先輩やシェフから怒鳴られることもありましたし、精神的に追い込まれる時期もありました。料理が大変だったわけではなくて、大変だったのはそれ以外の人間関係だったり、現場の空気だったりしました。
Q. そういう時期は、どうやって続けてこられたのでしょうか。
A. 仲間に助けられました。専門学校時代の仲間とか、同級生が頑張っている姿を見たり聞いたりすると、「あいつが頑張っているなら、自分も頑張ろう」と思えました。同僚と飲みに行って、愚痴を聞いたり、自分も話したり。そういう中で、また頑張ろうと思えたんです。
人に助けてもらっていたと思います。
Q. ピザづくりそのものでは、どんなところに難しさがありますか。
A. 料理に関して言えば、今でも乗り越えられていない部分があります。発酵もそうですし、焼きもそうです。発酵の状態と窯の温度帯がバチっと合わないと、理想のピザにはならないんです。自分では同じようにやっているつもりでも、思い通りにいかない。どうしてこうなるんだろう、ということは今でもあります。
Q. 東京でやっていたときと、須賀川でやるのとでは違いますか。
A. 全然違います。東京にいたときとは、気候も温度も湿度も違います。ここは標高も違いますし、1日の寒暖差もあります。1年の中でも季節によって変わります。須賀川に来てから、最初はその変化への対応に苦労しました。今でも壁には当たりっぱなしです。
ピザは毎日食べていますけど、毎日違います。微妙な味わいの違いなんですけど、違うんです。ピザは生き物だと言う人もいますけど、本当にそうだと思います。

生地の発酵、窯の温度、焼き上がりのタイミングが重なって、P.N.Mのピザになる。
須賀川の野菜を、できるだけそのまま使いたい
Q. 食材については、どんなことを大切にされていますか。
A. 長野に帰ってきてお店を開くなら、長野県産のものを使いたいという気持ちがありました。ピザで言えば、長野県産の全粒粉を使いたいと思っています。野菜もできれば長野県産のものを使いたいし、願わくば北信地方のものを使いたいです。
須賀川の野菜だったり、中野、飯山、木島平の野菜だったり。近いところのものを使いたいという気持ちがあります。
Q. 自家栽培の野菜も使われているんですね。
A. 最近始めました。サラダに入れたり、ピザに使ったりしています。ただ、自分たちだけではなくて、近所の方々がつくっている野菜がすごくおいしいんです。ありがたいことに、野菜をいただくこともあります。
近所のおばあちゃんが、一輪車で野菜を大量に持ってきてくれることもあります。
Q. そういう関わりがあるんですね。
A. すごくお世話になっています。畑のことも、近所の方に全部教えてもらいました。散歩しているおばあちゃんが、「こう切った方がいいよ」とか、「今年はいいな」とか、声をかけてくれるんです。ありがたいことに、お聞きすれば教えてくれますし、本当にいろいろ助けてもらっています。
山椒の実も、お客さんに誘ってもらって採りに行ったことがあって。それをピザにのせたりもします。6月くらいですね。そういう、その時期にあるものを使いたいんです。きのこなら秋から冬ですし、春夏秋冬に合わせた食材を使っていきたいと思っています。

ピザを食べに来る時間が、須賀川に触れるきっかけにもなる。森山さんご夫婦は、店を通してこの場所を知ってもらうことを考えている。
この場所を知ってもらうために、店ができること
Q. これから、須賀川という場所でやっていきたいことはありますか。
A. ざっくり言うと、須賀川をみなさんに知ってもらいたいです。まずはそこです。自分たちも、最初は須賀川のことをまったく知りませんでした。でも来てみたら、すごくいいところだったんです。野菜もおいしいし、水も空気もおいしい。シーズンでなければ音がないんです。川と鳥と風の音だけです。
そういう場所を守りつつ、知ってもらって、触れてもらえたらいいなと思っています。
Q. 長野市に戻ってきたときと、須賀川に来たときでは、生活の変化も違いましたか。
A. 全然違いました。東京から長野市に戻ってきたときは、生活はそこまで変わりませんでした。車移動になったくらいです。でも、須賀川に来てからは何もかも違いました。除雪もありますし、近くにコンビニもない。でも、それがまたよかったりします。
集落も、お隣さんとすごく密接しているわけではないんです。その距離感も含めて、自分たちには合っていたのかもしれません。
Q. 須賀川を知ってもらうために、今考えていることはありますか。
A. どうやって知ってもらうかは、まだ確立できていません。できれば、須賀川全体を巻き込んで何かできたらいいなとは思っています。ここには空き家もありますし、若い人が少ないということもあります。
うちの事業で言えば、空き家を使って、民泊というか、ゲストハウスのようなものはやってみたいですね。外観はできるだけそのままで、大きく新しくするというよりは、昔のものを残しながらやりたい。来てもらって、山ノ内や須賀川の良さに触れてもらえたらと思っています。
Q. ピザ屋として、外に出ていくことは難しいのでしょうか。
A. そこは弱みでもあります。キッチンカーがあったら面白いよね、という話もありますし、「出張してくれませんか」と声をかけていただくこともあります。でも、うちのピザは出張ではなかなか出せないんです。生地の管理が難しいですし、窯の温度もあります。自分で言うのも変ですけど、めんどくさいピザなんです。
水分量も、焼く温度も、管理が必要です。ピザはあたたかいうちに食べてほしいというのもあって。だから、ピザを食べたい人には、ここまで来てもらうことになります。でも、それで須賀川に来てもらえるなら、それもひとつの形なのかなと思っています。

P.N.Mには、”ピザで長野を盛り上げる”という裏メッセージもある。須賀川を知ってもらう入口になりたいという思いにつながっている。
編集後記
ピザの話を聞いていると、発酵の話になり、畑の話になり、須賀川の暮らしの話になっていきました。森山さんご夫婦からは、「須賀川を大きく変えたい」というよりも、「まず知ってもらいたい」という言葉がありました。窯は動かせない。だから、食べたい人はこの場所まで来る。それが、須賀川に触れる入口にもなっているのだと思います。
We Can
ピザを中心としたランチ・ディナーの提供
前菜、パスタ、デザート、テイクアウト商品の提供
長野県産・北信産の食材を使った料理づくり
発酵や生地管理を活かしたピザづくり
自家栽培野菜や近隣の野菜を使ったメニューづくり
DIYによる店舗づくりの経験
須賀川で飲食店を開業・運営してきた実体験の共有
We Want
須賀川を知ってもらう機会づくり
須賀川や北信地域の食材とのつながり
空き家活用やゲストハウス的な取り組みに関心のある方とのつながり
山ノ内・須賀川に来てもらうきっかけになる企画
地域の野菜や季節の食材を活かした取り組み
Next Relay
このバトンが、次へつながる。
やまブイブイ ジャンさん・黒田さんご夫婦
最初はお客さんとしてお店に来てくれたことがきっかけ交流が生まれました。湯田中でフランス料理店を経営されています。