故郷で実らせる、ぶどうと人との豊かなつながり—神田農園 神田 拓
2026.04.13
Relay From 今回ご紹介するのは、ぽぷり(農業青年団体)のつながりでAbeFarm合同会社の阿部達也さんからご紹介いただいた、神田農園の神田拓さんです。
名古屋での会社員生活を経て、40歳を機に故郷である長野県北信地域でぶどう農家を継ぐことを決意された神田さん。シャインマスカット、ナガノパープル、クイーンルージュといった長野の「ぶどう三姉妹」をはじめ、様々な品種を愛情込めて育てています。サラリーマン時代に感じた葛藤、そしてぶどう栽培を通して見つけた「人とのつながり」の喜び。彼の挑戦の背景には、故郷への深い想いと、何よりも「楽しく」を追求する哲学がありました。
Uターン、そしてぶどう農家へ
Q. 名古屋での会社員生活から一転、故郷でぶどう農家を継ぐことを決意されたのはなぜですか?
A. 大学から愛知で過ごし、印刷や広告の営業をしていました。40歳という節目を迎えた時、漠然と家業を継ぐかどうかが頭に浮かんだんです。ぶどう栽培は、収入面でもやりがいという面でも、一生をかけて取り組める仕事だと感じました。会社員時代は同僚や上司達と楽しく仕事はできていたのですが、自分で決定権を持ち、実行できるところ。また、一生続けることができる仕事というところに可能性を感じて農業の世界に飛び込んでみました。以前、バスケットボールが好きで、30代前半でスポーツイベント会社を立ち上げた経験もあり、自分たちで何かを作り出すことへの喜びは大きかったですね。人生は一度きり。どうせ頑張るなら、一生涯情熱を注げる仕事が良いと。それに、なんだかんだ言ってふるさとが好きでしたしね。将来の生活を考えた時に、名古屋は本当大好きな街で友達も仕事仲間にも恵まれていましたが、新たにチャレンジしたい気持ちが湧いてきたことと、ずっとこのままでいいのかなと漠然とした不安があった部分も大きかったです。そしてぶどうなら、頑張った分だけ結果が返ってくる。そこに魅力を感じました。
営業マン時代の苦悩と、乗り越えた先に
Q. 20代の頃、円形脱毛症を経験されたとお聞きしました。当時の「壁」についてお聞かせいただけますか?
A. ええ、20代の頃に円形脱毛になりました。おそらくストレスが原因だったと思います。営業マンとして深夜にお客さんから電話がかかってきたり、「前の担当ならやってくれた」と言われたりすることもあって。500円玉くらいのサイズで、一度できるとなかなか治らないんですよね。学生時代はコミュニケーション能力には自信があったのですが、当時は今考えると恥ずかしいくらいに未熟だったと思います。
Q. その大きな壁を、どのように乗り越えられたのでしょうか?
A. 好きなバスケットボールをしている時が、一番気持ちが楽になれたんです。好きなことをしている時は、自分らしくいられる。そうやって、心身のバランスを整えられた部分が大きかったですね。その経験が、後にバスケのイベント会社を立ち上げるきっかけにもなりました。どんな仕事でもそうですが、ぶどう栽培でも、作るのが好きな人もいれば、料理するのが好きな人もいるし売るのが好きな人もいる。僕の場合は今は農業仲間と一緒にお酒を飲んだり語ったりする時間や、県外へ出掛けて直にお客さんにぶどうを販売できる時間がとても楽しいし刺激をもらっています。栽培そのものはまだまだ勉強中で「大好き」と言われると少し違うかもしれませんが、自社で作ったぶどうを「美味しい」と言ってもらえるのは本当に嬉しい。マルシェなどで色々な地方に行くのですが、お客さんとのコミュニケーションがやはり楽しいですね。次の目標は大きく海外進出ですね笑

東京での販売活動の時。本人Instagramから
ぶどうが繋ぐ、新たな「楽しい」
Q. 神田さんが仕事をする上で、特に大切にされている「こだわり」や「ルール」は何でしょうか?
A. 何よりも「楽しく仕事をしたい」ということですね。楽しい時が、本来のパフォーマンスが一番発揮できる気がします。もちろん、農園は僕と両親でやっているので、時にはぶつかることもありますけど(笑)。ぶどうに関わる人たちとの関係、例えばマルシェで「神田さんと話したくて来ました」と言ってくれるお客さんがいたり、関わる人たちが楽しんでくれることが一番嬉しいです。名古屋に会社員時代によく行っていためちゃくちゃカッコいい床屋さんがあるのですが、その方々が社員旅行でこちらに来てくれて、うちのぶどうを「うまい!」と感動してくれたり、農園ではしゃいでくれたりする姿を見た時は、本当に嬉しかったですね。ぶどうをやっていなければ、こうした人とのつながりは生まれなかったと思います。
都市圏で開催するマルシェに出店した初年度、これまでの平均的な実績の1.5倍近い売り上げを作ることができたんです。当時のメンバーで一番の結果を出せたのは、僕の力というより、名古屋時代の友人や仕事仲間が続々と買いに来てくれたから。わざわざ遠くから駆けつけてくれた元同僚、上司、仕事仲間もいて、まさに人との繋がり、大切にしてきた『縁』に助けられた瞬間でしたね。いつも行っているスパゲッティ屋さんの大将夫婦や、ラーメン屋さんの店主さんや奥様も買いに来てくれたりして本当感動しました。自分が名古屋で過ごしてきた20年間を肯定してもらえたようで。そうした縁に、本当に感謝しています。

名古屋でのマルシェにて当時のご縁を感じる一幕。本人Instagramより
北信地域の未来、そして神田さんの挑戦
Q. 今後、この北信地域をどのような場所にしていきたいとお考えですか?
A. 移住者が多く来るような地域になればと思います。白馬村、野沢温泉などは外国人がすごく多いですが、名古屋から戻ってきて改めて感じたのは、若者が就ける職業にめちゃくちゃ偏りがあるなーと・・・思います。例えばIT系の企業があったり、極端な話、占い師さんとかタトゥースタジオみたいな多様な業種があったり。いろんな価値観やバックグラウンドを持つ人が集まる場所ができたら面白いと思います。例えば、沖縄の人を雇って長野とは異なる別の価値観を導入するとか、いろんな地域の人たち価値観が多様な人たちが気軽に仕事ができるような。そういう人たちが「来たい」と思えるような地域になればいいなと。個人的にはサウナが好きなので、サウナ施設とか、あとスケボーパークとか、若者が気軽に遊べる場所があればもっと賑やかになるんじゃないかなと思います。ぜひサウナ施設作りたいですね。
編集後記
都会での経験を故郷に持ち帰り、ぶどう栽培という新たな舞台で活躍する神田さん。彼の言葉からは、地域と人への想い、「楽しい」を追求する情熱が伝わってきました。ぶどうが繋ぐ縁を大切に、北信地域の未来を明るく照らす神田さんの今後の活躍に、ますます期待が高まります。
We Can
イベントの会社をやっていた経験があるので、企画運営、特にスポーツイベントのノウハウは提供できる強みだと思っています。合コンの企画なんかもお任せください(笑)。
We Want
求めているのは、一緒にスポーツ、特にバスケットボールができる仲間ですね。最近、飯山で活動しているサークルに参加したり、信州ブレイブウォリアーズがやっている大人スクールにも通っています。そこでのつながりも大切にしたいです。海外旅行も好きなので、興味がある方がいればぜひお話ししたいですね。
